相変わらずの知覚過敏で大学病院の外の歯科医院通いが続いた。
役所でする身体障害者や難病の手続きも外出の折に少しずつ
自分で始めた。
主治医のカッシーには外泊も勧められたけど、、、夜中に1人
の時、何かあったらと思うと怖くてできなかった。
病院のある永山から聖蹟桜ヶ丘へバスにも乗ってみた。なるべく
混んでる時間帯を避けて社会復帰の練習をした。まだ階段を数段
しか降りられない状態だったけど、バスの揺れや乗り降りにも慣
れて来た。
外出届けをナースステーションに出しに行くと、看護師さん達は
皆一様に笑って送り出してくれる。
「今日はどこ?」
「何食べる予定?」
さすがにお寿司とは言えず、“焼き肉”って嘘ばかりついていた。
頻繁に外出したのには私なりの訳があった。。。
それはいつでもどこでもその場にあるトイレでストマの内容物を
処理できるようになれること!!
最初は歯科医院やデパートの身障者用トイレ、飲食店等のスペース
が広くて衛生的な所を選んで練習した。
しゃがむと立てなくなるので駅や公園の公衆トイレ等、“和式”の
所は避けた。これはもう少し体力がついてからの宿題。
焦るとこはないや。。。ゆっくりやろうっと。
パウチは排泄物の様子(出血等)を見るのに透明、、、ただ、それが
私的にはちょっと抵抗があった。
↓
探したら中身が見えない肌色のパウチに巡り合った。
左がスケルトン、右が肌色。

肌色のパウチにしたことで内容物が直接目に入らないから
気分的に楽になった。
↓
フランジ(面板)もコンベックスタイプにした。
左がフラット、右がコンベックス。

これならストマの周囲を保護材が囲んでくれるので漏れが
防げる。
お腹に入っていたチューブの傷がちょうどフランジの接着面
にあってそこからの漏れが酷いことに気がついた。
↓
保護材をパウダーやリング状にしたアクセサリー類。
これで凹凸を埋める術を学んだ。

↓
この頃使っていたアクセサリー類。。。まだアイテムは僅かだった。

マジックインキのマークはこの頃の私のストマの型。担当看護師
の小野寺さんに採って頂いて今でも大事にしてる。
私がストマのケアを一切看護師さん達に頼まなくなって、、、
担当の小野寺さんと、いつも優しくて明るい曽田さんが心配して
様子を見に来た。
「ちょっとォ~、、、最近ストマどうしてるの??」
「誰にやってもらってる?妹さん??」
短い期間に揃えたアイテム達を2人に見せた。
取り替えるところを見せろって言うから実際にやってみた。
「あんたぁ~、、、凄いじゃない!私達より上手よ!!」
人間、おだてられると俄然その気になるもんだ。。。
私のシーズンオフの仕事はスキーの修理屋。元々手先は器用
だから、やり始めると面倒とか大変とかってのは無かった。
お腹の型がストマに合って来たのか、ストマの型がお腹に合
って来たのか、、、どっちもあると思う。
寝返りの打ち方も無意識にストマを守るようになって来た。
寝ていても排泄物が突然漏れる回数が減って来た。
人間の身体は不思議。。。
サイボーグはどんどん自己進化の道を辿り始める。。。
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