1月の下旬には栄養状態が好転し始めたのをきっかけに病棟の中で
少しづつ行動半径が広がった。
↓
相変わらずの独房生活。この中なら多少歩き回れる体力がついた。
横向きにしか寝れない日々が続き、膝が擦れて床ズレを起こすので
ピンクのクッションを膝の間に挟んで寝ていました。

↓
外界のことは全く分からず見える景色は病室の窓からコレだけ。
遠くに見える給水塔の辺りが私の家、、、意外と近かったことに
気付いた。

ある日の朝の回診で、、、
カッシー、、、「今日からシャワーを浴びて下さい」
私、、、「えっ、お腹の傷から黴菌入りませんか!?」
カッシー、、、「水圧かけて洗い流して下さい」
私、、、「、、、」
しばらくして看護師さんが2人来て浴室に車イスで連れて
行かれた。腹帯を取られ、お腹やお尻のガーゼも全て剥ぎ
取られた。ストマのパウチも外されて入院以来始めて身体
に何もくっ付いていない状態になった。
素っ裸のお腹からチューブが出てるだけの状態。点滴棒に
つかまって浴室に入った。鏡に映った身体は痩せこけて何
とも情けないし、、、若い看護師さん2人に介護してもら
えないとシャワーすら浴びられない自分に嫌気がさした。
数ヶ月振りに背中に温かいお湯がかかると気持ちが安らいだ。
何とも言えない良い気分だった。しかし、、、
看護師さん、、、「じゃあ、今からやるよ~」
私、、、「えっ!?」
看護師さんが高圧のシャワーで傷口を流す。。。
私、、、「ギャーッ!!」
痛くて悲鳴が漏れた。
看護師さん、、、「頑張れ~」
立っていられなくて浴室の車イスに座ろうとするともう
1人の看護師さんが支える。お尻の床ズレも同じ具合に
高圧のシャワーで洗われる。。。
痛くて痛くて、、、ただただ歯を食い縛っているしかない!
貧血で何がなんだか分からなくなった頃に、、、
看護師さん、、、「ハイッ、今日は終わりよ。また明日ね」
私、、、「、、、」
この日初めて自分のお腹の傷と造設されたストマを見た。
お腹の傷は、、、
みぞおち辺りにレモン大の穴が1つ。
お臍の辺りにゴルフボール大の穴が1つ。
さらに下腹部に梅干大の穴が1つ。
計3箇所に全く縫合されてない状態でポッカリ口を開けて
いた。正中切開された他の部分は何箇所か特大のホチキス
のようなモノで留められた痕が残っていた。お腹の中の膿
がドロドロと出続けている。
ストマを見た。梅干を半分に切ったようなモノがお腹の右
側にあった。粘膜その物、、、醜かった。とても醜かった。
熱や貧血で浴室に行かれない時はベッドの上で生理食塩水で洗
われ吸引される。床ズレは皮膚科の先生が往診に来てゴシゴシ
やって行く。
毎朝看護師さんが今日は何時頃シャワーするのか私の体調を聞
きに来る。
また今日も“水攻め”かと萎んだ。
温かいシャワーを背中にかけてもらうのは好きだったけど、、、
傷を洗われるのは痛くてとても辛かった。
傷口に薬を塗ったり、消毒って不思議としなかった。
こうやって膿を洗い流すのが大事なんだって先生も看護師さんも
言ってた。
静かにベッドで横になっていたいのにカッシーが抜き打ちで様子
を見に来る。寝てると叱られた。
私、、、「たまたま今、横になっただけです」
その言い訳も長くは通用しなかった。
起床から消灯まで大したことはしてないのかも知れない、、、
健常な時ならご飯を食べて、歯を磨いて、シャワーを浴びて
なんて、モノの1時間で済むようなことが、、、
この頃は1日がかりだった。
不思議だった。歩く練習をしに病室から出ても、この病棟の
廊下はいつも静まり返って、、、人っ子一人居ない。
他の病室の中は見えないけど、どの部屋からもピッ、ピッ、ピッ
っと同じような機械の音が聞こえて来るだけ!
↓病室から15m程先のココへ行くまで誰とも会わない。

↓その先のB棟の廊下はこんな感じで賑やかだった。

↓この頃は自分がどんな病院に居るのかもまだ認識できていなかった。

白血球の数が次第に減少して医学的には病人ではなくなって来た。
抗生剤の点滴が外された。タコ足配線みたいにお腹から出ている
チューブも外されて残り1本のみになった。
チューブが絡まって着替えすら1人で満足にできなかったのが
次第に身軽になってストレスも減り始めたのはこの頃だと思う。
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