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手術室から生還


ナースステーションのICUへ運ばれてからすぐに妹が手術創
を看護師さんから見せてもらった、、、体からは計7本のチューブ
が突き出ており、みぞおちの少し下辺りから下腹部までジグザグ
に開腹した創が30cm程延びていた。

ICUへ運ばれてすぐに意識が戻り、妹の問いかけに

「痛・て・ぇ~」

と途切れ途切れに口を開いたらしいけど全く覚えていない。術後も
麻酔に近い薬を点滴していたので数日間は全く眠った状態で過ごし
たと思う。何となく意識が戻り出したのは、ぼちぼち年が明ける
大晦日から元日の頃なのかも知れない。。。

廊下から「明けましておめでとうございます」って聞こえていたの
は覚えてる。



術後は痛みもなかったけど、身体の感覚も全くなかった。自分の意志
で動かせる場所は手の指先が多少、足の指先が僅かに、そして目蓋
だけだった。


、、、ウトウトと薄れ行く意識の中で、もしかしたら術中に脳梗塞
を起こしたんじゃないだろうかと考えた。。。自分が生きているのか、
イヤ、もしかしたらココは別の世界ではなかろうか、、、なんて思い
が交錯してた。。。



夢ばかり見ていた。現実の部分で見えるのは天井と蛍光灯だけ!
でも、それが夢になるとやっぱり同じ天井と蛍光灯が出て来る。
現実の部分で点滴を換えてる看護師さんが、意識を失った時にも
やっぱり点滴を換えてる!!

どこからどこまでが現実なのか、、、夢なのか全く境目がなかった。。。



身体は全く動かせない。。。お腹がどうなってるのか触りたくても
腕が動かない、、、首も動かないし、、、視界に入る景色はズ~ッ
とこの景色だけだった。
見える物と言ったら天井だけ



年末年始の静まり返った病棟だったけど、私の処だけは先生や
看護師さんがひっきりなしに出入りしていて賑やかだったかも
知れない。。。



25日、クリスマスの晩をICUで過ごし、それからの安住の
居室となるC棟4階-3415号室に運ばれた。

ベッドは2つあったけどほとんど個室。この病棟に大部屋は3つ
しかなく、部屋はたくさんあったが後は全て個室若しくは2人部屋
だった。



左の画像はうぃ様のブログから無断借用しちゃいました。スミマセン。
ベッドは退院間際の平和な様子なんでこの頃とはちょっとイメージが違う。
病室の入り口 ここが私のベッド





喉が渇いて喉が渇いて、、、とにかく甘いジュースをドラム缶
イッパイ飲みたい気分だった。皮膚の感覚も全くなくて、、、
喉がヒリヒリするのだけが続いた。ベタ~ッとベッドに寝たきり
だったけど、だんだんと自分がまだ生きているんだと思い始めた。




術後すぐではないけど、1月の初旬頃の顔。多分45キロ以下
だったと思う。会話は5分が限度、、、すぐ貧血を起こして眠
ってしまった。身障者手帳の申請をするのに写真が必要だった
ので寝ている上から妹の旦那に写真を取られた。ちょっとリアル
な写真だけど載せとく、、、。
術後しばらく経って


まだ目はうつろで焦点が合っていないです。。。
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cyborg 005
2023シーズン、まだ生きてる

☆彡全日本スキー連盟公認
  指導員、A級検定員
☆彡日本スポーツ協会公認
  スキー上級教師
  スキー・スノーボードコーチ2

06、12月に劇症型の潰瘍性
大腸炎(UC)
で大腸全摘手術を
受け、オストメイトとなる。

31年間勤務したスキー学校を
退職し現在フリーで活動中。

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