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生きていても仕方ない


・コレステロール
・鉄
・カリウム

その他、微量な栄養素が身体から全て抜けていた。
ラードのような液体(コレステロール)、赤サビのような液体(鉄)
を直接点滴していた。ペットボトルのようなのを背中に背負っていた。
エピとか言っていた。。。かなり高価な鎮痛薬を背中から直接入れて
いた。看護師さんは鎮痛薬と言うよりは麻酔に近い薬だよって言って
いた。







術後5日目くらいで重湯を1口か2口飲んだ記憶がある。お米の味が
すごくして甘くてトロっとしていて美味かった。胃は健康な訳だから
すきっ腹に染み渡った。



その後お粥が数日出てすぐに普通の米飯の食事になった。
肉、魚はもちろん、温野菜、根菜類、海藻類、乳製品、お漬物、、、
食事の仕方を忘れちゃってるのに1日3食が容赦なく出て来た。

俺、消化器官の病気なのに、、、コレってナンカの間違いじゃないか
と思った。10月の半ばから絶食していて、、、かれこれ3ヶ月近く
になる。食べろって言ったって食べられないし、、、

大体噛む力がない。唾液も出ない。食道も胃も食べ方を忘れてしまっ
て動いてくれない。口に何かを入れて噛んだ瞬間にすぐに貧血で目が
回り視野が狭くなってバタンッとなるしかない。


ご飯を食べるって行為がこれ程体力を使うのかと思った!!





とにかく食べられない。不二家のネクターを一口飲むのが精一杯なんだ
から、、、ベッドから上半身を起こすのに5分位かかる。運が良ければ
そのまま居られるけど、ほとんどの場合は起き上がると貧血でバタンッ
って枕へ逆戻り!!

先生も看護師さん達も他のことには優しかったけど、食事については
とっても厳しかった。きつかった。うるさかった。
とうてい全部は食べられない訳で、、、一口食べて寝ていると何度も何度
も病室に入って来て怒る。入れ替わり立ち替わりにいろんな看護師さんが
来て怒る。すっごく怒る!!特にナンバー2の相原さんは怖かった。







俺、何でこんなに怒られるんだろうって思った。お腹を切り開かれて
大腸を全部切除して、まだ傷口もパックリ開いたままなのに、、、!!
傷口はステロイドを大量に使ったために縫えなかったらしい。ホチキス
で数箇所を止めてあるだけ。。。まだこの頃は怖くて傷口を見られずに
話しに聞いただけだけど。。。

食べれないものは食べれないよ~、、、無理だよ~!!テレビは毎日朝
から晩までグルメ番組ばっかり、、、目は食べたいのに食べられない。
切なかった。本当に切なかった。体重はどんどん減って、この頃は多分
40kg位だったのではと推測。

生きて行くのに必要な食事、、、健康とか体力とかそんな次元ではない
医学的に必要なレベルで全く摂取ができなかった。不二家のネクターと
ヤクルトだけが唯一胃に入ってくれた。妹が売店でたくさん買って来て
病室の冷蔵庫に入れてあった。冷蔵庫とベッドの距離は3m位あった。
もちろん自力では取りに行けず、その都度ナースコールだったけど。。。


狭いけど充実した売店。後に私のオアシスとなった。
売店





日医大には玄関にこんな洒落たお花屋さんもあった。
お花屋さん







だんだん物事を理解したり会話できる時間が長くなって来た。1月の
半ば頃にお腹の右側にくっ付いてるモノの意味が理解できた。医療に
詳しい妹から説明を受けた。

ストマ、、、
「お兄ちゃんはこれから一生このストマと生きて行くのよ」って感じ
で淡々と説明してくれた。

2日に1回くらい看護師さんがストマの交換ですってお腹を優しく拭
いてくれた後に何やら作業をして行くんだけど、、、妹の説明を受ける
まで何のことだか全く分かんなかった!!

悲しかった。悲しくて悲しくて妹が帰った後にメソメソと泣いた。
普段あんまり涙が出る人ではなかったけど、その晩はとにかく泣いた。
原因不明の難病で、、、それも短時間に急激に悪化の道を辿り、、、
本人が知らない内にそんな身体になっていて、、、しかも一生このまま
なんて、、、悲しかった。神様の悪戯を恨んだ。





大量の点滴の中にはに眠くなる成分が含まれたモノも多く、相変わら
ず眠っている時間が多かったけど、目が覚めると泣いてばかりいた。
涙がとめどなく溢れた。目を開けて現実を見ていることが辛かった。
早く元気になりたいとか早く退院するんだとか、、、生きて行こうと
する力は妹の説明で根こそぎどっかへすっ飛んで行ってしまっていた。

生きようとする力が失せたのも手伝って相変わらず食べれなかった。
食べて元気になった所でこんな身体じゃ人生終わったも同然だと諦めた。
何もかもが全部諦め。。。検査も治療も、もうイイやって思い始めた。

看護師さんが身体を拭きに来ても 「今日はいいです」

看護助手さんにご飯を運んで来てもらっても 「食べられません」

忙しい外来の合間に柏原先生が様子を見に来ても 「・・・・・」

ブラックジャックみたいな執刀医の鈴木先生の回診も 「・・・・・」

腕の血管が極度の栄養失調で細くてモロくなり、点滴の針を入れる場所
がなくなって来た。せっかく現代医学の粋を集め、家族やたくさんの人
の温かい協力で助かった命だけど、もう要らないって思い始めていた。
病室は確か4階、、、窓もデカイ!!何とかあそこまで歩いて行って窓
を開けて頭から這い出せば死ねる。。。考えてはならないことだけど、
邪な目標を持ったら気が少し楽になった。






こんな姿を誰にも見られたくなかった。妹にもナースステーションにも
徹底して病室に誰も近づけないように頼んだ。誰かが訪ねて来たのかも
知れないけど、家族以外は面会謝絶にしてもらっていた。もちろん免疫
力が極度に低下して合併症の問題もあったので、頼まなくても面会謝絶
だったけど、、、。

今まで格好良く生きて来たつもりだったから絶対にこんな姿を人目に曝
すのは嫌だった。
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Security
cyborg 005
2023シーズン、まだ生きてる

☆彡全日本スキー連盟公認
  指導員、A級検定員
☆彡日本スポーツ協会公認
  スキー上級教師
  スキー・スノーボードコーチ2

06、12月に劇症型の潰瘍性
大腸炎(UC)
で大腸全摘手術を
受け、オストメイトとなる。

31年間勤務したスキー学校を
退職し現在フリーで活動中。

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