朝から晩まで痛みの連続、、、!!
脇腹のチューブの交換、床ズレのケア、食べなきゃいけない
のに食べると内臓が暴れる、微熱が続いて動く気力を奪った。
身体からはまだタコ足配線のようにいろんなチューブが出たり
入ったり、、、ちょっと動くとあちこち絡まる。
いい加減にウンザリ。頭は正常だから精神的なストレスもかなり
溜まって来ていた。
2ヶ月以上触ることもできなかった携帯電話を妹が持って来
てくれた。留守番電話は心配してくれてるお客様からの伝言
でいっぱいだった。
修理の板を預かったまま行方不明、、、
レッスンの予約をいただきながら学校にいない、、、
仕方ないことだけどやりきれなかった。
メールを打ってみようとしたけど、2~3文字打つと視界が狭
まり画面は真っ白け、、、貧血を起こしてどうにもならなかった。
治療の痛みと孤独感で身体よりも心がすさんでいたんだと思う。
オストメイトになったことで人と会うのを自分から拒んでいた。
汚い、臭い、醜い、病院内ですら他の患者には自分がそんな身体
には外見上は判りっこないのに、終始そんな思いに苛まれていた。
だんだん正常な判断力や思考力が戻って来て、、、やっぱり寂しさ
には耐えられなかった。わがままだけど治療の痛み、眠れない辛さ、
食べれないもどかしさ、、、身体の自由が利かないいらいら、、、
愚痴を聞いてくれる人が欲しかった。
自分で自分の道が切り開けずに捨て鉢な気分になっていたのかも
知れない。。。最先端の医療に支えられながらも、心の隙間は
どんどん広がっていた。
恐る恐る病室のベッドからごくごく親しい人に電話してみた。
いざ喋ろうとすると、お腹の傷が痛くて上手く声が出ない。。。
かすれた声で何とか喋って1分、、、貧血で天井がグルグル
回った。暮れに死にかけてた人間が1月の下旬には自分で電話
して来たので、皆一様に驚いた様子だった。
↓
入院直後にすぐ妹が手続きをしてくれていた身体障害者手帳。
最初は左側の写真が貼られていた。手帳は現在の物で、本来は
再発行ができないのですが、写真の顔の様子ががあまりにも
違っているので再発行が認められた。

寂しさに耐えられなくて、治療の愚痴を聞いて欲しくて、、、
先生の許可を得てごくごく親しい知人だけ面会を許して
もらった。。。皆、堰を切ったようにぞくぞくとお見舞いに
来てくれて、、、
古くからのスキーの生徒さんで、ある市民病院の看護師さん
をしてる方が後日病室宛に荷物を送って下さった。
中身は、、、
・ビーフジャーキー
・ミニサラミソーセージ
頭の中は????????
毎日少しづつゆっくり噛んで食べて下さいとだけメッセージ
も届いた。
頭の中はさらに?????????
お粥ですら飲み込むのに精一杯、、、なんでこんなお酒の
おつまみ、、、しかもゴワゴワした食べ物送って来たんだろう?
きっと何かの間違いだよなぁ~!?
病棟の看護師さんに相談してみた。。。
「アラ~、、、ビール飲みたくなっちゃうねぇ~」
「いいのよ、食べられたら食べてごらん」
「大丈夫、大丈夫」
って感じでみんなニヤニヤ笑ってるだけ、、、何だか無責任
な感じって思った。
仕方ない、、、やることもないし、、、食ってみるか!
恐る恐るビーフジャーキーを口に入れてみた。とても噛み
切る力はまだないからチューチュー吸ってるだけ。
でも何だか味がハッキリしていて美味い。今まで何を食べ
ても味が分からず、強いて言えばコカコーラくらいしか
本来の味が分からなかったのに、、、
毎日チューチューやってる内にだんだん唾液が出るように
なった。少しずつ噛めるようになって来た。ビーフジャーキー
なんて、、、そもそもしょっぱくてそんなに食べれるもん
じゃないのに、、、ミニサラミも味がしっかりしていて美味
しかった。ビーフジャーキーの硬さに比べたらミニサラミ
なんて食べるのは簡単!!
顎の力が蘇り、結局かなりの量を4~5日で食べ切った。
唾液が出る。モグモグ食べれる。食べながら貧血で眠ってしまう
こともあったけど、食事の摂取が楽になって来た。
高カロリー
高コレステロール
高タンパク
高塩分
お陀仏病棟の患者の食する物ではなかったけれど、何もかも栄養
素が不足し、食べ方を忘れてしまった私にとっては劇的に効いた!!
食べると腹腔内の空いた空間を内臓が暴れて痛かったけれど、、、
これ以後、毎回の食事は半量程度を食べられるように進歩した。
味の濃い物の方が食べ易かったので売店でカップのお味噌汁や
スープ類を妹が大量に仕入れて来た。
私の食欲がかなり改善されてるのを看護師さん達は見逃さなかった。
みんなニコニコ嬉しそうに励ましてくれた。自分のことのように喜
んでくれて、、、中には食事中の私をわざわざ見に来る看護師さん
もいた。
↓
入院直後にすぐ妹が手続きをしてくれたので経済的な負担もかなり
違いました。

ビーフジャーキーで以後の入院生活が劇的に変わるのをまだ予想も
してなかった。
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