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48kg


この頃から点滴はなくなり、身体から出ている物と言えば
ストマと右側のお腹から出た残りのチューブが1本だけ。

相変わらず30m程の距離を毎日数回歩く練習をしていた。
ある朝看護師さんが病室にやって来て言った、、、



看護師さん、、、
「今日からA棟のレントゲン室まで1人で行ってね!」



私、、、
「転んだら怖いし、何かあったらどうすんの!?」



看護師さん、、、
「ここは大学病院だからすぐ助けが来るわよ」



私、、、
「、、、」



と言う訳で↓の往復100m以上の距離を1人でレントゲン
室に行くことになった。貧血で目が見えなくなることや転倒
の不安で、、、大変な宿題だと思った。




↓レントゲン室はC棟から一番遠い場所にあった。
日本医科大学多摩永山病院

画像上部の赤丸が私の病室、下部の赤丸がレントゲン室、
青線は旅に出されて歩いたルート。




ナースステーションのみんなに見送られて旅に出た。。。
。。。みんな一様にニヤニヤしている。なんでだよ~!?



↓いつも歩行訓練してるB棟のエレベーターまで行く。
C棟からB棟へ、、、



エレベーターの中で立ってるだけで貧血を起こした。
4階から2階に降りるだけなのにすごく長い時間に
感じる。


もうダメだった、、、貧血で視界が狭くなり、やがて
目の前が真っ白にホワイトアウト。。。
母子センターの前にイスがあったのを思い出して座る。

↓エレベーターを降りると都合の良いことにイスがあった。
B棟2F母子センター前を通り、、、





いつもは車イスを看護師さんに押してもらってレントゲン
を撮りに行っていたから気がつかなかったけど、、、
B棟とA棟の間には車道があり、その上にこんな長い渡り
廊下がある。

途中で休む場所がなく、私にとっては最大の難関!!
母子センターの前のイスで15分程休んでからでないと渡
れない!


↓渡り廊下は外から見るとこんな感じ。
B棟とA棟を結ぶ連絡通路





↓この渡り廊下は歩くと揺れて怖かった。
連絡通路の内部






↓渡り廊下の先には売店があって人混みが怖かった。
売店前の廊下、、、




最大の難関をフラフラ、ヨロヨロと越えてもその先は
売店やら外来やらで人がごった返してる。。。気が遠
くなりそうな距離だった。脚がもつれて真っ直ぐに歩
けない。必死の思いで外来のイスにうずくまる。




↓外来のイスでも15分程休んだ。
玄関にある外来待合、、、



外来からさらに進んでエレベーターに乗りA棟のB1へ降りる
とやっとレントゲン室に辿り着く、、、健常な人ならわずか数分
で行ける距離なのに、この頃の私にとっては大変な距離だった。


↓レントゲン室。
A棟B1のレントゲン室

↓透視室。
A棟B1の透視室




朝の8時過ぎに病室を出て再び戻って来るとすでに
10時を過ぎてる。。。

レントゲン室での撮影は15分程度だから、、、往復
で1時間半は費やした。

やっとの思いでC棟のナースステーションに辿り着くと
看護師さんたちは待っていたように微笑んでくれた。

この日からレントゲンや透視、皮膚科の治療には1人で
旅に出された。病院のあちこちにあるイスの場所を必死
に覚えた。

貧血は体の自由と視界を奪い、人混み、、、特に小さな
子供の頭と女性のハンドバッグはストマを直撃するので
怖かった。





毎日曜日の朝はナースステーションで体重測定があり、
この頃始めて体重を計った。健常な時には80Kg近く
あった体重は、、、

48Kg!!

痩せ細り、骨と皮ばかりの身体。

薬のせいだろうか、、、髪の毛が抜けて白髪だらけ。

自分の身体を見るのが嫌だった。
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Security
cyborg 005
2023シーズン、まだ生きてる

☆彡全日本スキー連盟公認
  指導員、A級検定員
☆彡日本スポーツ協会公認
  スキー上級教師
  スキー・スノーボードコーチ2

06、12月に劇症型の潰瘍性
大腸炎(UC)
で大腸全摘手術を
受け、オストメイトとなる。

31年間勤務したスキー学校を
退職し現在フリーで活動中。

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