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猛烈な知覚過敏


この頃は、、、退院の目途くらいは教えてもらえるのではって心の
片隅でホンのホンの少しだけ密かな期待をしていた。

自分で言うのは怖かったので妹からそれとなく主治医のカッシーに
聞いてもらったけど、、、

「退院なんてとんでもない!まだまだかなり先の話ですよ」

とキツく釘を刺されてしまった。さらに、、、

「病院の外が怖ければ居たいだけ居て良いし、自分で自信が
持てるまでは退院のことや病室のことなんて気にしなくて
良いんだからね」

とまで言われてしまった。



そして、、、朝の回診でカッシーからまたまた宿題を出された。

「退院は無理ですが外出、外泊はどんどんして下さい」
「病院のご飯なんかより外出して“焼き肉”を食べること」
「生魚、生野菜は駄目ですが、それ以外なら死ぬほど食べて」

だんだん訳が分からなくなって来た。大学病院の先生に病室から
抜け出して“焼き肉”食べて来いって言われてる訳だから、、、


退院できない理由は2つ。

縫合不全でお腹の術創がまだ塞がっていないのと、特大のお尻の
褥瘡(床ズレ)が栄養不足で全然治ってないから、、、

褥瘡のすぐ下は骨盤。黴菌が入ると骨膜炎を起こしたりする
ので外科の先生達は皆一様にそれを恐れていたらしい。

「病棟の久し振りの傑作サイボーグなのにまた再入院されちゃ適わんっ」

てカッシーに言われた。





朝7時に起きるとすぐに高カロリーなポテトチップを食べる。
ジャガリコがベッドで食べるには都合が良かった。

すぐ8時の朝ご飯、、、何とか出て来た量の半分程度を食べた。
10時頃の回診を終えるとヨタヨタと売店に行ってかつ丼とか
天丼とかを買ってリハビリがてら階段で昇り降り。。。

降りも5段程度なら恐る恐るできるようになっていた。

1回に持てるのはペットボトル2本とお弁当1つ、後お菓子少々。
それ以上は握力がなくて無理だった。

お昼ご飯の前に買って来たお弁当を半分食べてから病院のお昼ご飯。

お昼ご飯を食べるとまた階段、階段。午後は高圧のシャワーでお
腹の傷とお尻の傷を自分で計画的に洗うようにまでなった。

午前中のお弁当の残り半分を食べてから日が暮れるまでまた階段。



とにかく1日のほとんどを食べることと階段の昇り降りに費やす
日が続いた。

夕方、売店の終了間際に安くなったお弁当をヨタヨタと歩いて
さらに買い込み、夕ご飯の後に食べる。。。普通の人がこんな
食べ方したら絶対に「糖尿病」になっちゃう。

田舎の母がこのことをひどく心配していたらしいけど、現状を見てる
妹に「これが今のお兄ちゃんの仕事だから」って一括されたみたい。


手術前に80㎏程度あった体重は絶食と手術で40㎏位になった
けど、術後1ヶ月半で50㎏程度まで回復。

口から栄養を摂取することにだんだん慣れて来た。モグモグと連続
して食物を咀嚼しても貧血を起こさなくなった。味覚が甦り、最初
は何を口に入れても苦味しか感じられなかったのが、甘さを感じる
ようになって食べるのが楽しくなって来た。


そんな矢先、、、猛烈な知覚過敏が襲って来た。


体重が半分にまでなった訳だから、当然歯肉も痩せ衰えて歯がガタガタ。


沁みるとかそんな次元ではなくて、、、痛い。息をしても空気で痛い。
全ての歯が痛い。歯も磨けない。体温と同じ温度のモノなら辛うじて
食べられたけど、水分も痛いし、喋るのも痛かった。


日医大には歯科がなかったので普段から往きつけの歯医者さんへ行く
ことになった。

カッシーが歯医者さん宛てに使ってはならない薬や私の身体の様子
を丁寧な手紙にして持たせてくれた。



外出の手続きを自分でして1人で行こうとしたら、、、

「そこいらでひっくり返られたらたまらん」

と妹も付いて来てくれた。




↓病院の周囲も坂だらけ。
病院の周り


杖をついて初めて病院の外をヨタヨタと歩いた。坂道は足が前に出ない。
妹が後ろから押してくれた。木枯らしの吹く寒い日だったけど汗だく
で歩いた。

妹にタクシーを勧められたけど、できるだけ歩いた。

焼き肉屋に入って4~5人前のお肉を頬張る。口の中が痛かったけど
まさか生きて焼き肉を食べられるとは思ってなかったから嬉しくて涙
が出た。

「口の中が痛くて涙が、、、」と妹には嘘をついた。



↓多摩ニュータウンは坂ばかり。
多摩ニュータウンの坂道


かなりの急坂を妹と2人で2㎞程歩いて往きつけの歯科へ。
人相風体の変わってしまった私を見て先生が驚いていた。カッシーから
の手紙を読んで全て分かってくれた。

歯医者さんのトイレでパウチの中身を捨てる練習をした。
いつでもどこでも初めての場所でもパウチの中身を捨てられないと
生きて行けないから、、、

馴染みの床屋さんへも行った。身ぎれいになった。生きてる実感が
込み上げて来て無性に嬉しかった。

かなりの道程を歩いた。初めて病院の外に出ていきなり往復4㎞位は
歩いたと思う。


少し、イヤ、かなり自信がついた。。。。



絶対厳禁と言われていたけど、帰り道にお寿司も食べてしまった。
免疫抑制剤を大量に使った身体は、僅かな雑菌でもすぐ病気になる。
ちょっと後悔もしたけど、ここまで生き返ったんだからもう平気。

病院の外でも生きてることをたくさん実感したかった。


門限間際に病棟に戻って看護師さん達にいろいろ聞かれた。
焼き肉を食べて美味しかったことは報告したけど、お寿司のことは
しばらく秘密にすることにして妹と口裏を合わせた。


相変わらずしゃがむと立てないのが気になったけど、、、

こうしてサイボーグの実社会への復帰が始まった。
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Security
cyborg 005
2023シーズン、まだ生きてる

☆彡全日本スキー連盟公認
  指導員、A級検定員
☆彡日本スポーツ協会公認
  スキー上級教師
  スキー・スノーボードコーチ2

06、12月に劇症型の潰瘍性
大腸炎(UC)
で大腸全摘手術を
受け、オストメイトとなる。

31年間勤務したスキー学校を
退職し現在フリーで活動中。

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