今、このページを書いているのは平成22年の12月の暮れ。
4年前の今頃は日医大のお陀仏病棟でほとんど意識もなく、
息も絶え絶えに25日のクリスマスに予定された手術を只々
待っているだけだったと思う。
子供の頃から胃腸は丈夫だったし、特に何か異常があった訳
でもない。そりゃ~、、、たまにお腹を壊すことはあったかも
知れないけど、幼少期~成人してこの歳まで至って超健康体。
いきなり襲って来た漆黒の悪魔はいつ頃から私の身体に宿り
始めたのか、、、!?身体や心に余裕ができたせいだろうか、、、
退院間近の病室で1人冷静にそのことを考えるようになっていた。
平成18年の夏頃、ちょっとお腹の調子が悪かったのは確か!
下腹部の膨満感、便秘のような感じ、しぶり便が1ヶ月に2~3日
程度あった。
勤務先のスキー学校での立場や自分の仕事が大変忙しくて、、、
まぁ~これは精神的なストレスのせいじゃないかって勝手に思って
生活してた。
痛くて我慢できないとか、緊急を要するって症状ではなかった。
10月に入って狭山スキー場にレッスンで通い始める頃から下腹部
の痛みが激しくなって来た。時には20分程度の激痛が日に何回か
襲って来た。
さすがにこりゃ~マズイと思って地元ではかなり大きい総合病院
を受診したものの、、、何の病気かは分からず検査、検査の毎日。
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最初に受診した聖ヶ丘病院。自宅からも見える。とても豪華でいつも
気になっていた。どうせ治療を受けるならこんな病院がイイって思っ
てた、、、とても安易な発想だったと思う。

↓
中はこんな感じ。豪華なソファーがいくつも置かれていて病院
と言うよりは高級ホテルの雰囲気。

様々な検査をして、、、先生のおっしゃるには、、、更に詳しい検査
も必要ですが、現段階では
「潰瘍性大腸炎の症状を呈していて、緊急に入院して絶食しながら
大腸を休ませる必要がありますよ。すぐに入院手続きをして下さい!」
とのことだった。
「カイヨウセイダイチョウエン!?」
単なる炎症性の病気かと思ったら大間違い!!
自分の白血球が自分の大腸を外敵と間違えて攻撃する
恐ろしい病気!しかも国から難病に指定されてるっ!
、、、指先から血の気が引いた。。。
レッスンの予約は12月までビッシリ、お客様から修理でお預かりした
スキーはまだ100台近く残ってる状態。年間の収入のほとんどは今の
時期に稼ぐ訳で、、、入院してのんびり治療してる場合ではなかった!
結果、私のカルテには“入院拒否”と記された。
先生に頼み込んでとにかく通院!!絶食して通院で栄養&水分の点滴
をすることになった。
↓
毎日2~3パックを点滴するにはかなりの時間を要した。とにかく
毎日通って来ないと死ぬよって言われてた。。。

食事、、、全く摂らずにいた。恐る恐るエネルギーゼリーなんかを
食したら激痛が!!
スポーツドリンク等の電解質も次第に摂取できなくなって、、、
結果、口からは一切何も入れられなくなってしまった。
大腸内視鏡もS字結腸に狭窄部分があって次第に使えなくなり、、、
白血球の数はうなぎ昇りだった。
↓
赤い部分、中央上段が白血球の値。普通の人はは3,300~9,000
程度。私のは12,000近い。この後どんどん上昇。18,000を軽く
超える値まで上昇したと記憶している。

原因も分からなければこれと言った根治療法もない。とうとう病院で
大量の出血から意識が朦朧とすることもしばしば。
↓
特効薬はなく鎮痛剤で辛うじて生きていた。

混濁する意識の中で考えた、、、。
スキーのレッスンはもう無理だからお客様には事情を話そう。
一刻も早くお客様に修理した板をお渡しして仕事にケリをつけよう!
千葉の鴨川にある日本でも指折りの高度な医療設備を持った、、、
K病院に伝手があった。後顧の憂いを残さないように仕事を
終わらせたら、何とか伝手を頼って鴨川まで行こう。。。
それだけを頼りに仕事をしていた。
聖ヶ丘病院の先生や看護師さん達にも迷惑をかけた。。。
日曜、祝日には外来ではなくて入院病棟のベッドで点滴を
してくれた。。。
結果、、、日曜日の夕暮れ時、入院病棟で点滴中に容体が急変、、、
たまたま当直の当番で来ていた日医大の救命救急センターの
諸江先生に助けられた。
諸江先生は日医大の救命部門でもキャリアのある先生だった。
すぐさまいろいろと大学病院へ指示を出して下さった。
救急車で聖ヶ丘病院から日医大に搬送される。この日のこの出来事が後々に私が日医大で手厚い治療を受ける
きっかけとなったのは言うまでもない。
最悪の状況下だったが僅かに運が良かったんだと思う。
10月下旬に自覚症状が出てから僅か1ヶ月!!アッと言う間に
漆黒の悪魔は私の身体を攻撃し始めた。。。
潰瘍性大腸炎、、、安部前総理も同じ病気ですが、私のはタイプ
が異なる恐ろしいヤツ。
“
電撃劇症型”
病気の予兆とか前兆とかって感じてる暇もない程素早く身体を蝕む。
そんなことを冷静に考えるようになった平成19年の3月初旬でした。
ある日、主治医のカッシーが妙な時間に病室にやって来た。
カッシー、、、「条件付きで退院を許可しますっ!」
私、、、「えっ!?」
カッシー、、、「毎日皮膚科に通院できるのなら退院を許可します」
退院の嬉しさと、社会復帰への不安やらで身体が固まってしまった。
すぐに妹にメールした。
サイボーグ、、、社会復帰への第一歩を歩み始めました。
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