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あの世の入り口?


退院してからの独り暮らしは不安と恐怖の連続だった。いつでもどこでも
ストマが外れるのを常に警戒しなくちゃなんない。

暗くなると特に怖かった。地震が来たら、、、停電になったら、、、災害
時には生きて行くための装具の供給がなくなる。。。

病院で生活していた時と同じように自宅でもベッド周りにストマケア用品
を配置して不安を凌いだ。当たり前のことだけど、病院って所は何て機能
的なんだろう。。。




今まで上げ膳据え膳で病院で暮らしていたから、日常のことを全て自分で
やると、、、ひどく疲れた!買い物、食事の支度、洗濯、掃除、、、健常
な時は何でもなかったことが全然思うように進まない。

1時間で済むことは1日、1日で済むことは3日、、、欲張らず、焦らず
やって行くしかなかった。




仕事で使っていた大事な車がお陀仏になっていた。持ち主は生還したけど
スキー場~スキー場への移動、お客様の板のデリバリーで酷使していた車
は気難しい性格もあって3ヶ月間の放ったらかしで廃車となった。

↓仕事で使っていた長野オリンピックの時のオフィシャルカー。
デリカー、狭山スキー場にて、、、



仕方なく廃車。お世話になってる修理工場の方々が私の身を案じて
何から何までやってくれた。
デリカー、廃車





トレーニング用に自転車を買った。退院して始めての買い物。


子供用の26インチだからすごく軽い。足腰を鍛える目的もあった
けど、起伏の多い多摩ニュータウンの階段を担いで登ると上半身が
鍛えられた。
自転車



↓多摩丘陵は坂道ばかり。
多摩ニュータウンの坂道



階段が毎日のトレーニング場所。ここを自転車を担いで登った。
多摩の丘陵地帯





生きて自宅に戻れた実感が次第に湧いた。


人って死ぬとどうなっちゃうんだろう、、、!?

溶けちゃうのかしら?

ずっと眠ったような感じなのだろうか?




手術中に体温を失って死にかけた時に見た夢。。。妹や看護師さん達の
話から時間的な計算をすると、、、多分手術中かその後運ばれた回復室
で術後の一夜を過ごしていた頃に見たんだと思う。



今でもハッキリ、クッキリ覚えてる。。。





上の方から自分で自分を見てるような感じだった。

火葬場にあるようなトンネル型の焼却炉の中に自分がいた。
全裸で蹲って膝を抱えた格好だった。酷く寒くて震えてた。

トンネルの先に明るい灯があってだんだん広がって来た。
暖かい風が吹いて来てそっちの方に行けば寒さが凌げるって
思った。

万華鏡のような綺麗な光が差し込んで明らかにそちらの方は
楽しそうで暖かそうで居心地が良さそうな雰囲気だった。




腰を挙げた瞬間に誰かが肘を引っ張って、、、

「そっちへ行くなっ!」

、、、と耳元で囁いた。。。一体誰だったんだろうか?



もしかして、あれがあっちの世界、あの世の入り口だったのかも
知れない。。。現実の世界に引き戻してくれたのは誰?


未だに忘れられない不思議な夢です。







生還してしばらくして、、、私の住む街、、、聖蹟桜ヶ丘は
文字通り桜が満開になった。



聖蹟桜ヶ丘は桜が満開の季節だった。
聖蹟桜ヶ丘の街並み



毎日桜を眺めてのトレーニングに没頭した。
大栗川沿いの景色




恐る恐るスキーの板を持ってみた。。。握力がないから片手では
まだ持てない状態。全然掴めないやっ。



今はまだ3月!!雪のある内に滑ってみたいサイボーグであった。
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Security
cyborg 005
2023シーズン、まだ生きてる

☆彡全日本スキー連盟公認
  指導員、A級検定員
☆彡日本スポーツ協会公認
  スキー上級教師
  スキー・スノーボードコーチ2

06、12月に劇症型の潰瘍性
大腸炎(UC)
で大腸全摘手術を
受け、オストメイトとなる。

31年間勤務したスキー学校を
退職し現在フリーで活動中。

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