退院する時のカッシー(主治医)との約束、、、
、、、皮膚科を受診して床ズレ、、、褥瘡(ジョクソウ)の傷の手当、、、
をほぼ毎日欠かさずしていた。
この頃はお腹の傷はほぼ塞がって、あとはビー玉程度の大きさの穴をお臍の
辺りに残す程度までに回復。
床ズレの傷はまだまだ大きくて握りこぶし大、、、ジュクジュクしていた。
大学病院までは起伏の多い道を選んで自転車で通った。お腹とお尻に大きな
傷がある訳だから、、、上り坂では傷が開きそうで怖かったのを覚えている。
時々C4病棟に出向いた。入院中にお世話になった看護師さん達が春先の
移動で病棟から姿を消していたのが寂しかった。退院したのが日曜日で挨拶
してなかった看護師さんにはどうしてもお礼が言いたかったから、、、。
4月も半ばになって、、、滑れるスキー場がだんだん減って来ていた。
そろそろ滑っても良いのではないだろうか!?
筋肉もついて来たし、雪の上に立ってホンの少しだけ滑ってみよう。。。
実家周辺のスキー場はほとんどクローズだったけど、一番近くて一番標高が
高いピラタス蓼科スノーリゾートが営業していた。
デリカーのことでいつもお世話になっていた友人の経営する多摩サービス
センターでほとんど新車のスイフトを新しいデリカーが来るまで借りられる
ことになった。
※以下の画像は全て当時のモノです。私の滑りは駆けつけてくれた
弟子?達が撮影してくれた。。。心から感謝です。
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前日に信州茅野市の実家に移動。中央道は春の日差しがポカポカ。

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入院中は病室の窓から眺めていた富士山が間近に。。。

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南信州は桜が満開だった。東京でも信州でも満開の桜を見た。
、、、気分がとっても明るくなれる。

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実家の窓から、、、明日はここでカムバック決行!!
前日からドキドキ、、、滑れるかなぁ~!?

夜、東京から私のゲレンデ復帰を心配した弟子達(と私的には思ってる)
が実家に来て泊ってくれた。明日は一緒にゲレンデに行ってくれるらしい、、、。
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2007年(平成19年)4月15日(日)大安の朝のピラタス。

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これから滑る、、、ちょっと怖い感じ。

リフトに乗る時、お尻の床ズレの傷に搬器がぶつかって痛かった。
リフトの上でちょっと心配になっていろいろ考えたけど、、、
、、、案ずるより産むが易し!!
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滑り始めれば勝手に体が動いた。

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心配して駆け付けてくれた弟子達はかなり呆気にとられてたみたい。

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みんな、ホントにありがとう。

お腹の中のかなり大きい臓器、、、摘出した大腸の長さは約1.5m!!
重さだって半端じゃないから、、、それが無くなったことで身体のバランス
が今までと違うのを体感。
前に行ったり後ろに行ったり良い位置を探すのにウロウロ。。。
体幹中心部の重みを失ったからバランスが悪いやぁ~!!
こりゃ~、まともな滑りにするには時間が必要って思った。
小一時間滑って終了。もっと滑りたかったけど身体のこともあるし
、、、弟子達にも滑って欲しいのでこの日の私はこれでおしまい。
みんなが滑っている間にゲレンデでストマのケアをしてみた。
スキーブーツのままゲレンデのトイレを使う練習、、、かなり
窮屈な姿勢を強いられるけど何とかなりそう。
ゲレンデではケアをし易いトイレを探すのが最優先だと学習した。
スキー場までの道中は麓のコンビニなんかで一旦ガス抜きをせにゃ
ならんです。一気にスキー場まで登ってしまうと気圧の差でポテト
チップの袋みたいにパウチがパンパンになって破裂しちゃう!!
外出時はスキーに限らずまずトイレの確認の癖がついて来た。
今シーズン中にはゲレンデでパウチの交換の練習もしてみようって
考えた。
今まで8ヶ所位骨折したけど、決してシーズンに穴を空けたことは無く
、、、このシーズンも何とかゲレンデに出ることができて嬉しかった。
入院中はもう駄目かと思ったこともあるし、スキーどころじゃなくて
自殺をしかけた訳だから、、、心底雪の上に戻ることができて嬉しかった。
3ヶ月前は身体から7~8本のチューブが出ていて体重は48kg。
伝い歩きどころか立つこともできなかった自分、、、。
そんなマイナススタートからここまで来れて、、、この日だけは自分を
たくさん誉めてあげた。。。万歳!!この先も何とかなりそうだ!!、、、
沢山の方々の力を借りて、、、虎視淡々と来シーズンに向けて策を練る
サイボーグでした。
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