妹と退院後久し振りに会った。12月の手術前後のことは
特に記憶がないのでいろいろ聞いて来ました。
14日の誕生日もまったく記憶がない。甘いジュースが飲み
たくてワガママ言ってたみたい。とにかく甘い果物やジュース
が飲みたかった。この頃の先生達が妹に言った言葉は、、、
「助けられるものなら助けてあげたいんですよ」
「症例がなくて正直僕らも分からないんですよ」
こんな言葉の繰り返し、、、妹夫婦もこれにはかなり凹んで
泣いたそうです。ステロイドも白血球除去も全く効果がなく
保存的な治療では、なす術がなくなってしまっていた。
こんなに短期間に衰弱し、検査の反応は癌でもなければ腫瘍
でもない。回診でぞろぞろ病室に入って来る先生達の顔も
一様にドンヨリしてた。
依然白血球の数値はうなぎ昇りに上昇。細菌等の外敵から身
を守ってくれている筈の白血球が、何を勘違いしたのか自分
の大腸を攻撃している!!
大腸の内で何かが起こっていることは間違いないけど、S字
結腸が極度に狭窄していて内視鏡も使えない。
このままだと栄養状態が悪化して確実にお陀仏。問題のある
大腸の一部を切除して何とか口から食べ物を入れられるよう
に一時的な手術が緊急に決定しました。2時間程度の簡単な
ものだから体力も持つだろうし、本格的な治療はそれから考
えることになったらしい。
高熱で病院着がいつもビショビショ。着替えようにも身体が
動かん。苦しくてナースコールを押したかったけどそこまで
手が届かない。。。
↓
左の画像が私が居たC棟。右の画像がB棟です。この画像
そのままの位置関係です。渡り廊下の手前側(写ってないけど)
が外来や検査施設のあるA棟になる。後にこの渡り廊下が
私にとって最大の難関となる。

病室のあるC棟の4階は呼吸器や消化器の重症患者が主に
入院してる。言葉が適切ではないけれど、云わばお陀仏寸前
の人達の病棟。ここに入れられたこと自体が病気の重篤さを
物語っています。以後、自分の中では「お陀仏病棟」と呼ん
でました。
トイレはもちろん歩けないから行けない。尿瓶を使うだけで
体力が消耗。先生からオシッコのカテーテルを入れるように
薦められたけど、何だか屈辱的で断固拒否した覚えがある。
25日のクリスマスに手術の日が決まる。これでジュースも
飲めるなんて夢の中で思った。手術の2~3日前から身体に
死臭が漂い始める。身体の中の臓器が生きながら腐ってる訳
だから、、、妹が看護師さんに臭いのことを伝えたら、、、
「そういう時ってそうなのよねぇ~」って言われたらしい。
そういう時って、、、どういう時??
PR